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講演を行った登 大遊氏は,独立行政法人 情報処理推進機構(IPA)のシニアエキスパートであり,世界で広く利用されるフリーウェア「SoftEther VPN」の制作者だ。またNTT東日本本社特殊局員として,ネットワーク技術の根幹を担うシステムソフトウェアの開発にさまざまな立場から携わっている。
そんな登氏が問題視するのは,日本において,IT分野の基礎的な部分を理解するエンジニアや,プラットフォームを生み出せる人材や企業が不足していることだ。これは経済だけでなく,国の安全にも影響を及ぼすという。
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米国では自国で基礎技術を開発し,中国も国策としてエンジニアの育成に力を注いでいる。一方,日本は海外で開発された技術を購入し,利用する側に回っている。こうした状況を変えるためには,基礎技術を生み出せる人材を育成しなければならないというのが,登氏の考えである。
そのための方法として提示されたのが,才能のある若者が自由に活動できる「ガレージ」環境だ。業務とは直接関係がないように見えるものを作ったり,開発に失敗したりしても,すぐに止めずに見守る。そして,企業のように売上だけを成果とするのではなく,生み出された技術が社会にもたらす「年間社会的便益(ASV)」を国富として評価するべきだという。
売上がゼロでも,社会に大きな便益をもたらせる
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年間社会的便益とは,公共事業などで用いられる考え方だ。
例えば,新たに橋を建設し,無料で利用できるようにした場合,橋そのものの売上はゼロ円である。しかし,橋によって輸送時の迂回が不要になれば,移動時間や燃料費が削減される。その効果は金額に換算でき,社会全体にもたらされる便益として評価できるのだ。
登氏は「100億円の売上を立てるのは難しいが,1人の若手技術者が同程度の年間社会的便益を生み出すのは容易である」と語る。
登氏が開発したSoftEther VPNはフリーウェアであるため,ソフトウェア自体の売上は発生しない。しかし,全世界で約1000万ユーザーに利用されており,登氏の試算では,年間400億〜600億円相当の社会的便益を生み出しているという。
これは,1人の才能が開発したソフトウェアでも,社会全体に大きな経済効果をもたらせることを意味する。そして,そうした技術を生み出す人材を育成する場所が,ガレージ環境なのである。
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売上だけを価値の基準とした場合,無償で公開されるソフトウェアが社会にもたらす貢献は見えにくい。
PythonやLinux,日本発のRubyやTRON RTOSなど,無償で利用できるソフトウェアは珍しいものではない。開発者が年間社会的便益という言葉を意識していたかどうかにかかわらず,こうした技術は多くの人々の生産性を高め,コンピュータやネットワークの発展を支えてきた。
コンピュータの世界は以前から,有志によるソフトウェア開発と,そこから生まれる社会的便益によって成長してきたとも言えるだろう。
日本では「デジタル基盤人材」が不足している
講演では,現在のIT分野における人材不足が,どれほど深刻な状態にあるかも語られた。
登氏は,IT分野の人材を「デジタル基盤人材」「デジタル応用人材」「デジタル活用支援人材」の3種類に大別する。
デジタル基盤人材は,AWSやMicrosoft Azure,Google Cloudといった,さまざまなサービスの土台となる基盤技術を開発する。デジタル応用人材は,OfficeやGmail,Teamsなどの汎用アプリケーションやプラットフォームを作る。そして,ITコンサルティングや受託開発などを通じて,これらの技術の導入や普及を支えるのがデジタル活用支援人材だ。
日本ではデジタル活用支援人材が多い一方で,デジタル基盤人材とデジタル応用人材が少なすぎる。そのため,両者の育成が急務になっているという。
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では,なぜ日本ではデジタル基盤人材とデジタル応用人材が不足しているのか。
登氏は,基盤となる技術を国内で作ってこなかったことが理由の一つであると指摘する。米国や中国では基盤技術の開発からスタートし,その成果が大きな経済的価値を生み出している。
一方,日本は海外で作られた技術を輸入してきたため,基盤技術を開発する機会も,それを担う人材も少なくなってしまったという。
もっとも,デジタル基盤人材の不足は日本だけの問題ではない。米国にはもともと多くのデジタル基盤人材がいたが,近年はAI分野を専門とする人材が増え,基盤技術を担う人材が減少している。Amazonの副社長兼法務担当であるZane Brown氏や,Microsoftの副社長であるAmy Pannoni氏も,デジタル基盤人材の不足を訴えているという。
2025年10月には,AWSやMicrosoft Azureで大規模な障害も発生した。利用者の立場では「しばらく待てば復旧するだろう」と考えてしまいがちだが,その裏側では,基盤を維持する人材の不足という深刻な問題が進んでいるわけだ。
一方,中国では2016年から,デジタル基盤人材の国内育成に力を入れている。
習近平国家主席は「自分たちで打ち出した新技術や新製品が問題を起こしても,使いながら改良すればいい」「インターネット分野の人材には奇才や異才が少なくないため,特殊な人材には特殊な政策を講じ,完璧を求めず,年功序列も求めず,同じ物差しで測らないことが必要」とスピーチしているという。
登氏は,2030年頃にはこの分野で中国が米国を追い越すと予想する。そのうえで,2040年以降に日本で生み出されたデジタル基盤技術を世界へ普及させるというビジョンを描いている。
安価な機材を潤沢に用意し,失敗を許す
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そのビジョンを実現するために必要となるのが,才能のある学生が自由に遊び,試行錯誤できる「キャンパス内ガレージ」だ。
登氏は,ガレージに必要な条件として,「研究環境を自由に構築できる物理的なコンピュータとネットワーク」「多彩な小規模チームへの分散投資」「必要な部品を当日から翌日までに入手できる即時性」「学生の自発的な動機を生じさせる仕組み」を挙げた。
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ガレージとは,高価な最新機器が並ぶ,マンガに登場する研究所のような場所ではない。むしろその逆の環境だ。
安価な部品や,壊れても大きな損失にならない中古再生品のPC,すでに前世代の規格となっているIPv4アドレスなどを,余るほど用意する。突発的に思いついたアイデアをすぐに形にできるようにし,失敗や試行錯誤を許容するのである。
高価で数の限られた機材では,壊すことを恐れ,失敗しない使い方に終始してしまう。反対に,安価な機材が潤沢にあれば,学生は自分の判断で分解し,接続し,作り直せる。設備の豪華さよりも,失敗してもやり直せる余裕が重要なのだ。
登氏がガレージの「最重要設備」として挙げたのは,冷凍庫や調理機材だった。
店が閉まった深夜でも,学生が自分たちで食事を作り,開発を続けられるようにするためである。管理する側が生活のすべてを用意するのではなく,必要な道具を渡し,運営は利用する学生たちに任せる。そこには,自由だけでなく,自治を重視する登氏の考え方が表れている。
「Age of Empires II」がネットワーク開発の動機に
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人材育成においては,各地に点在するガレージ同士の交流も重要になる。さまざまな才能を生み出したシリコンバレーでは,車で30分ほど移動すれば,別の企業や研究拠点の人材と交流できた。しかし,大学や研究機関が広い範囲に点在する関東では,同じようにはいかない。
そこで登氏は,ガレージ同士を直接つなぐ「関東シリコンバレー化」を提唱している。2026年6月には,筑波大学キャンパスと慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)を大型バスで結ぶ「遠隔大学間直通バス運行実験(USB)」を実施した。
なぜ大型バスだったのか。それはサーバーや食料品といった大きな荷物を運び,乗り換えや終電を気にせず両大学が交流するには,鉄道ではなく大型バスでなければならなかった。
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この取り組みでは,学生たちが大型バスで互いのガレージを訪問し,鍋やバーベキューなどの食事を作りながら,技術討論会を行った。
交流の中で登氏が「きわめて重要」と強調したのが,ゲーム大会である。
学生たちは持ち込んだPCを使い,RTS「Age of Empires II」で対戦した。この大会が,両拠点の閉域LANを接続するモチベーションになったという。
先にネットワーク技術の研究課題を設定し,学生に取り組ませたのではない。まず一緒に遊びたいという動機があり,そのために必要な技術を自分たちで作ったのである。
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複数の機関が連携するとなると,日本では技術研究や共同プロジェクトの策定から始めがちだ。しかし登氏は,その前に組織の境界を曖昧にし,連携という名目で交流したり,遊んだりすることが大切だと語る。
システムソフトウェアとゲームという異なる業界の交流も考えられる。交流や遊びを通じて人をつなぐことはゲーム業界が得意とする分野なので,ぜひ教えてほしいと呼びかけ,講演を締めくくった。
冷凍庫に表れていた「任せる」という考え方
ここからは筆者の所感となる。
ガレージ環境に必要なものとして挙げられた,失敗の許容,多様な小規模プロジェクトへの分散投資,若者の自発性の尊重は,いずれも日本が苦手としてきた取り組みではないだろうか。
環境だけを整えて自由にさせても,成果が上がらなかったらどうするのか。失敗したら誰が責任を取るのか。費用が無駄になるのではないか。そうした不安から,挑戦を始める前に細かな規則や目標を設定し,失敗しないよう管理しようとしてしまう。
しかし,失敗なくして技術の進歩はない。若手が失敗しても壊滅的な結果にならないよう,安価な機材や小規模な環境を用意することこそ,経験を持つ側の役割なのだろう。
とくに印象に残ったのが,ガレージの運営を利用者たちに任せるという姿勢だ。その考え方を象徴しているのが,ガレージに冷凍庫や調理機材を置くという施策であるように思える。
若い技術者を育てるのであれば,24時間営業の食堂を用意し,スタッフを常駐させ,栄養バランスの取れた食事を提供するべきだと考えてしまうかもしれない。しかし,それでは費用も仕組みも大きくなり,実現のハードルが上がってしまう。
冷凍庫と調理機材を置き,食べるものを自分たちで選び,自分たちで調理してもらう。必要な環境は用意するが,その使い方までは管理しない。自由と責任を切り離さず,利用者の自主性と自治に委ねる仕組みなのだ。
その自主性が生み出す力は大きい。筑波大学のガレージでは,ネットワークの配線も学生が自ら行っている。「遠隔大学間直通バス運行実験」では,ゲーム大会がネットワークを構築する動機になった。
講演の冒頭では,ネットワークの基礎的な部分をブラックボックス化せず,社員それぞれにサブドメインを自由に使わせるだけでも,責任感が育つという話もあった。自分で判断できる範囲があるからこそ,新しいことを試そうという意欲が生まれるのだろう。
売上ではなく年間社会的便益で技術の価値を見る。若い技術者の自主性を尊重し,遊びや失敗を許すガレージ環境を作る。今回の講演では,短期的な成果だけにとらわれない,中長期的な人材育成の重要性が語られた。
登氏が描く,2040年以降に日本のデジタル基盤技術を世界へ普及させるという未来。その実現は,すぐに成果が出ない取り組みに対して,どれだけ長い目で投資を続けられるかにかかっているのではないだろうか。





















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